西川徹郎学術研究叢書、創刊

 2019年は、新しい出会いに満ちた素晴らしい年だった。
 1月20日、ノートルダム清心女子大学教授・文藝評論家綾目広治氏(岡山市在住)の画期的な西川徹郎論『惨劇のファンタジー 西川徹郎 十七文字の世界藝術』(茜屋書店)を文學館編集の[西川徹郎学術研究叢書]の第一巻として刊行した。本書は300枚を越える長編学術論文で、著者が読者を道連れにして西川文学の峻烈な言語世界を懇切丁寧に解き明かしていく。佛壇峠や鬼神峠等の切り立った絶壁も、メタファの多層性による底無しの詩海も、今日の世界の思想・哲学・美学・言語論等の到達点を秘剣として切り捌く。この一冊自体が、西川ワールドを巡る無類のファンタジーとも言える愉快な旅路であり、冒険譚だ。本書には資料篇として「黄金海峡*西川徹郎自撰句集240句」や「十七文字の銀河系」と題された「西川徹郎=西川徹真略年譜」他が収録されている。
 3月22日、東北大学名誉教授・河合教育研究所主任研究員・哲学者野家啓一氏(仙台市在住)が書評紙「週刊読書人」同日付にて「一行で虚空に突っ立つ現代詩」と題して、同書を書評。
 「「口語で書く無季・非定型」の西川俳句は、天皇制の文化的秩序に抗う「反権力・反伝統の文学」であらざるをえない」とし、本書が抵抗の文学としての西川俳句を「大陸哲学系の受容美学と分析哲学系の翻訳理論とを交差させながら、著者は西川の実存俳句の背景にある浄土仏教(西川は浄土真宗の学僧でもある)やシュールレアリスムからの影響を読み解いていく」としている(引用文の丸括弧内は原文)。

西川徹郎記念文學館 詩と表現者と市民の会結成集会と
第四回西川徹郎記念文學館賞決定発表

 3月30日、西川徹郎記念文學館詩と表現者と市民の会結成集会を開催した。この市民集会で、第四回西川徹郎記念文學館賞の受賞者を『はざまの哲学』(2019年6月11日青土社刊)著者野家啓一・『惨劇のファンタジー 西川徹郎 十七文字の世界藝術』著者綾目広治の二氏に決定発表。この二著は前回の第三回西川徹郎記念文學館賞決定発表以降に、西川徹郎記念文學館並びに西川徹郎事務所に全国から寄せられた単行本750冊、雑誌1020冊に掲載された文芸作品と論文の中から、選考委員西川徹郎・斎藤冬海が選出した。因みに第三回は『内村鑑三―私は一基督者である』(御茶の水書房刊)著者、「神奈川大学評論」編集専門委員・学術博士・文芸評論家小林孝吉氏(横浜市在住)が受賞、2017年7月8日第三回新城峠大學文藝講演会にて記念講演、同日授賞式・祝賀会が開催された。

フランス文学研究の第一人者・作家・演劇家、鈴木創士氏

 4月6日、『ランボー全詩集』(河出文庫)やアントナン・アルトー論他多数の著書・訳書を持つ仏文学者・作家・演劇家・詩人鈴木創士氏(神戸市在住)が書評紙「図書新聞」同日付に「抽斗のなかの俳人」と題して『惨劇のファンタジー 西川徹郎 十七文字の世界藝術』を書評。西川徹郎の作品世界について「きわめて端正でさえある初期の短歌や、きわめて早熟な『無灯艦隊』をぱらぱら繙くだけでも、西川徹郎が天才少年詩人であったことが散見されるというものだ。そればかりか、これらの作品を見ると、なんと少年はすでにして老成していることがわかるのである。清冽さ、激越さ、孤立が、とっくの昔に狷介固陋や沈思や沈黙と同居している。それにしてもあれらの方法叙説! 年齢が幾つであろうと、言葉に対するこれほどの自在さは老成以外の何物でもない」と述べ、さらに感嘆を隠さない。「少年は老人であった。驚くべき十七文字の遺書である。私にとって、今までこのような感慨を覚えたのは、ランボーを措いて他にはない」
 同月28日、「神戸新聞」編集委員、文化部デスク新開真理氏より同日付の「神戸新聞」を恵送賜る。鈴木創士氏が同紙に連載中の「もぐら草子―古今東西文学雑記」第88回に「北の俳人―そこには修羅と銀河がある」と題して西川徹郎とその生地新城峠と作品が紹介されていた。十代の「天才少年の詩」たる俳句、
  黒穂ふえ喪がふえ母が倒れている  (西川徹郎「無灯艦隊」)
  首のない暮景を咀嚼している少年
  月夜轢死者ひたひた蝶が降っている
  晩鐘はわが慟哭に消されけり
が掲げられ、最新の句業も「天才少年から半世紀以上が経ったが、最新の西川俳句も凶星か無限の弾丸のままだ」として
  死へ急ぐ雁捕らえてみれば父である  (西川徹郎「永遠の旅人」)
  湖底に映る銀河ひとすじ裾乱れ
  永訣や湖底の星を数え切れない
の作品が挙げられ「なんと老年にさしかかった容貌魁偉な俳人の横顔は、いまも恐るべき少年なのである」と締めくくられていた。引用の作品は「無灯艦隊」が第一句集『無灯艦隊』(1974年刊)所収、「永遠の旅人」は総合誌「俳句界」(文學の森)2018年2月号掲載の作品21句よりの掲出である。
 西川徹郎が少年時代、ボードレールやランボーの作品を読み、我も又彼らの如き世界の詩人たらんと志したことを思う時、フランス文学研究の第一人者鈴木創士氏がランボーとの比較を以て西川徹郎を論じたことに感奮を禁じ得ない。

第四回新城峠大學文藝講演会開催

 9月14日、午後1時第四回新城峠大學文藝講演会開催。前日13日は会場設営のため、西川徹郎記念文學館のボランティアの会、詩と表現者と市民の会のメンバーが集合し、市民の会副代表澤田吐詩男、同廣瀬基、イベント総括部長惣伊田敏行等の指揮のもと館内の全ての準備を抜かりなく整えた。夕刻文學館に二人の受賞者が到着、前夜祭開催。綾目氏は3回目の来館である。野家氏は初めての来館となるが、『はざまの哲学』著者の講演を、もし宮腰利夫氏が存命であったら如何程楽しみにされたかと思われてならなかった。旭川市内で瀬戸物店を経営していた宮腰氏は、当館開館後間もなくから文學館活動を応援し続け、若き日から独学で構築した哲学理論「間(かん)弁証法」を唱え、西川徹郎が市井の哲学者と称んだ人だった。
 14日、新城峠大學文藝講演会にて150名を越える聴衆が耳を傾ける中、綾目広治氏が「西川文学と世界思想」と題し、西川文学が世界文学としての普遍性と全ての文学の真髄である〈抵抗〉の精神に貫かれたものであることを講演。続いて野家啓一氏が「「物語の哲学」と西川文学」と題して氏の名著『物語の哲学』(岩波現代文庫)を踏まえ、「物語り」は危機としての人間存在を生かしめる機能を持つ。短歌に物語性を導入し短歌表現の極限に至った寺山修司と、その極限から出発し、「生の告発が詩の根源である」とする西川徹郎の実存俳句文学を比較検証した。参加者と講演者、さらに西川徹郎との活発な質疑応答がなされた後、講演会は終了した。

綾目先生
野家先生

第四回西川徹郎記念文學館賞授賞式・祝賀会

 14日午後6時から隣接するシティホテルを会場に授賞式・受賞祝賀会が開催され、多数の市民が両氏の受賞を祝った。市民の会顧問、北海道議会元副議長三井あき子氏の祝辞に続き、スピーチとして、市民の会顧問、八重樫法律事務所所長・法律家八重樫和裕氏が長年取り組んでいる死刑廃止運動について述べ、さらに市民の会学術委員、文芸評論家・詩人泉雄司氏が西川徹郎と詩人天沢退二郎の詩業について述べた。
 西川徹郎は会の最後に挨拶に立ち、十代の日に遭遇した新興俳句の旗手細谷源二と、哲学者三木清と、その三木清が獄中で遺書として書いた「親鸞ノート」との不思議な出会いによる物語を熱烈に語った。
 かくして日本最高峰の知性と哲学と文学の三者が千載一遇の出会いを果たした大雪山系を望む北都旭川における熾烈で歴史的な一日一夜が幕を閉じた。
 尚、西川徹郎のこの会に於ける挨拶は、当ホームページ上の動画で御覧下さい。

(斎藤冬海 Saitou fuyumi)

受賞後の記念撮影