2020年から2021年へ

 のんびり出歩く事が出来たのは、2020年の1月迄だった。夏が近づき、気候が暖かくなれば収まるのでは、という楽観的な希望はすぐに跡形もなくなり、2020年3月WHOによるパンデミック宣言。以来新型コロナウィルス感染症の蔓延と呼ばれる事態は、現在迄悪化の一途を辿っている。
 最近、何十年振りかでボヘミア生まれの作家シュティフターの「みかげ石」を、文學館の蔵書の古びた文庫本(『みかげ石―石さまざまⅡ』岩波文庫)で読んだ。表面はつるっとして格好のベンチになっている「みかげ石」には、そこに座ったり佇んだ人達の記憶が折り畳まれ積み重なっている。おじいさんは、主人公の男の子に話し始める。
 「むかし不思議な出来ごとがおこって、たいへんなわざわいがふりかゝったことがあったのじゃ」おじいさんは、そのまたおじいさんから聞かされた話を聞かせる。「ひどい病気」が「ずっと前から遠方で、はやっていて、人の命を信じられないほど沢山奪ったのだったが、突然わしらのところにもやって来たのだ。どうして来たのかわからない。人間がもって来たのか、おだやかな春風にのって来たのか、それとも風や雨雲に運ばれて来たのか、ともかくやって来た。そしてこのあたり一帯にすっかり広がった。道の上にまだ残っている散った白い花の上を、死人が運ばれていった」その疫病がペストだった。
 『石さまざま』は疫病や洪水その他の、人生を襲う様々な人智の及ばない厄災や理不尽な出来事と、それに人生を賭けて立ち向かう人間の姿を描く作品だ。殊にも人類を度々襲ったペストは、人類の存続を脅かす危機として自ずと文学史に刻印されている。ポーの「赤死病の仮面」やホーフマンスタールの「騎士バッソンピエールの奇妙な冒険」も又、ペストに見舞われた当時の有様が余りに生々しい。その中で富や名誉を振りかざす愚かさも人間の姿だ。
 仏文学者・作家鈴木創士が訳したA・アルトー『演劇とその分身』(河出文庫)は、最初の項目が「演劇とペスト」である。その一節にはこのような詩人の言葉がある。
「演劇もペストもひとつの危機であり、死か治癒によって解決される。そしてペストは卓越した病であるが、なぜならそれは完璧な危機であり、その後には死か極限の浄化以外に何も残されてはいないからだ。同じように演劇はひとつの病であるが、なぜならそれは至上の均衡であり、破壊なしにそれは獲得されないからだ。演劇はそのエネルギーを高揚させる錯乱へと精神を誘う。そして最後に、人間的観点からすれば、演劇の活動はペストのそれと同じく恩恵をもたらすものであるのを見てとることができる、というのもそれは人間たちを駆り立てて自分たちにあるがままの姿を見させ、仮面を剥ぎとり、嘘や、無気力や、下劣さや、偽善を暴くからである」……

『西川徹郎研究』第二集の刊行

 2020年は、新型コロナウィルス感染症の拡大防止への一環として、文學館の開館期間の殆どを休館した。2021年は、出来得る対策を講じ通常開館した矢先の5月14日北海道に緊急事態宣言が為され、現在は不定期に開館している。来館の方は、事前に文學館(0166-25-8700)に開館時間を確認して頂ければ幸いです。
 昨年の休館中は、最小限度で文學館「詩と表現者と市民の会」役員・編集スタッフの会議を行い、『西川徹郎研究』第二集の制作を進めた。2021年1月15日刊行。A5判190頁。
 今回の特集は三本立てで、一は、2019年9月14日開催の第4回西川徹郎記念文學館賞とその受賞記念講演としての第4回新城峠大學文藝講演会を特集した。西川徹郎の「経緯と授賞理由」並びに、講演録・綾目広治「西川文学と世界思想」、野家啓一「「物語の哲学」と西川文学」を収録。当日遙々東京から参加した教育新潮社社主・小端香芳氏の「新城峠大學に参加して」収載。
 二は、「西川文学と世界思想Ⅰ」として、西川徹郎第14句集『幻想詩篇 天使の悪夢九千句』を特集。この作品集は、2000年に刊行された『西川徹郎全句集』直後の2003年『全句集』に収載された5338句に迫る5091句を書き下ろして世間を驚かせた第13句集『銀河小學校』に続く第14句集で、2013年刊。書き下ろし9017句を収める。特集は、「自選二十二句」で始まり、同書による第七回日本一行詩大賞特別賞(日本一行詩協会主催)の受賞の辞、仏文学者・作家鈴木創士の書き下ろし評論「悪夢について」「そこには修羅と銀河がある―北の俳人西川徹郎」、文芸評論家志村有弘、俳人中里麦外、俳人大井恒行らの書き下ろし『幻想詩篇 天使の悪夢九千句』論を収載する。
 三は、「西川文学と世界思想Ⅱ」として2019年に刊行された文芸評論家綾目広治の西川徹郎論『惨劇のファンタジー 西川徹郎 十七文字の世界藝術』を特集。文芸評論家小林孝吉、仏文学者私市保彦の書き下ろし評論と、野家啓一、鈴木創士、作家渡辺晋、俳人谷口愼也の書評を収載。
 西川文学に関する資料を収録する「新城峠金枝篇」には、詩人伊藤勳、美術評論家鶴岡善久、俳人鈴木六林男、俳人中園倫、俳人三森鉄治らの評論、吉本隆明・森村誠一・上野千鶴子・末木文美士・傳馬義澄・沓掛良彦・久保隆・菅野俊之らの書簡を収載。
 巻末に斎藤の後記「阿修羅の詩人西川徹郎について」。
 編集・制作・発送作業ほか多方面に亘り出版に尽力・応援を頂いた文學館市民の会の皆
様に感謝申し上げます。

『吉本隆明全集』第24巻に西川徹郎論収載

 現在、東京・晶文社より歴史的出版『吉本隆明全集』(全38巻・別巻1)が刊行中である。社会学者で東京大学大学院名誉教授上野千鶴子氏はこの全集刊行に際し「吉本隆明氏は戦後日本最大の、そして空前絶後の思想家である。〈空前絶後〉というのは、吉本の前に吉本はなく、吉本のあとに吉本はいない、という意味である」と賛辞を寄せている。
 2021年1月刊行の最新巻第24巻に、吉本隆明の最初の西川徹郎論となった「西川徹郎さんの俳句」が収録されている。これは1988年、俳人越澤和子が西川徹郞の初学の師というべき新興俳句の旗手細谷源二(1906~70)の直弟子として、責任編集した西川徹郎初の読本『秋桜COSMOS別冊 西川徹郎の世界』のために書き下ろされた論文だった。
 吉本隆明にとってまだ一面識もなかった西川徹郎だが、西川徹郎は吉本隆明の個人編集誌『試行』を購読しており、又西川徹郎自身も1984年個人編集誌『銀河系つうしん』(現『銀河系通信』)を発刊、吉本氏に謹呈していた。85年、第3号を送った頃というが、送られて来た『試行』にペラの原稿用紙が挟まれており、そこには吉本氏の大きなペン字で「あなたの書いているものは、私は全部読んでいます。頑張って下さい。吉本隆明」と認めてあった。これは日頃、西川徹郎が今でも語るところである。
 日本文学界の歴史的評論家であった吉本隆明のこの言葉と読本への執筆が、日本文学一千年の詩歌伝統の七五調定型詩総体と対峙し単身で〈俳句革命〉の峻路を往く少年詩人西川徹郎へどれほどの大きく強い激励となったか計り知れない。
 1991年4月20日西川徹郎は斎藤を伴い、初めて東京・本駒込の吉本邸を訪問した。通された和室の座卓上には、『試行』を送る宛名書きがされていたらしく封筒が積まれていた。帰道の夜行列車「北斗星」の出発時刻が迫るまでの吉本隆明との歓談は、あっという間に過ぎた。
 帰り際にふと床に置かれた猫皿を見ると透き通って新鮮な海老の刺身が載っていた。吉本家の猫は幸せそうだ。玄関まで送って下さった吉本氏は、最後に再び西川徹郞へ言った。「あなたの書いているものは、ぼくは全部読んでますから、頑張って下さい」、と。
 その後、吉本隆明は2000年『西川徹郎全句集』の解説「西川俳句について」を書き下ろし、更に2007年旭川・西川徹郎文學館(現西川徹郎記念文學館)開館記念出版『決定版無灯艦隊―十代作品集』(沖積舎)の帯文を執筆している。これらも追って吉本隆明が西川徹郎へ宛てた書翰と共に『吉本隆明全集』第34巻、第36巻に収録される。
 西川徹郎は1999年「吉本隆明と親鸞思想」(初出「北海道新聞」7月2日付夕刊、2000年『銀河系つうしん』第18号所収)を発表したが、この一文に就いて詩人で吉本隆明研究の第一人者川上春雄(1923~2001)は、西川徹郎宛の私信で、「この論文は吉本隆明先生について、今までに書かれていない部分を多く含んでいます。本当に素晴らしい論文で、私はたいへん感心しました」と述べている。因みに『吉本隆明全集』第37巻は、川上春雄への書簡が一巻を成す。
 『吉本隆明全集』第24巻をはじめとして、昨年から今年にかけて西川徹郎や文學館に関係する諸氏の勝れた著作が次々に刊行された。
 野家啓一著『3.11以後の科学・技術・社会』(河合ブックレット)、志村有弘編訳『山峡奇談』(河出文庫)・監修『〈図説〉日本の異界を歩く!遠野物語』(青春文庫)、鈴木創士著『うつせみ』(作品社)、小林孝吉著『内村鑑三の聖書講解―神の言のコスモスと再臨信仰』(教文館)等である。

野家啓一氏、『3.11以後の科学・技術・社会』–を刊行

 野家啓一氏の『3.11以後の科学・技術・社会』は、2019年5月、河合塾福岡校で若い人々を前にして行われた講演に基づく論文。野家氏は科学哲学者であり、「科学哲学」とは何かということが講演の骨子となっている。
 2011年3月11日の東日本大震災と津波、東京電力福島第一原子力発電所の事故の衝撃は余りにも大きかった。仙台市にお住まいの野家先生御自身も地震の被災者となられていたのである。
 震災当日、偶々、西川徹郎と筆者はホテルの一室に閉じこもって、夫々締切りの迫った某社の依頼原稿を仕上げていたところだった。そのために夕刻まで何も知らず、食事がてら外出した先の商業施設のテレビ売場の前の人だかりと、一斉に映し出されている、家々が暗く波立つ一面の水に流されていく異様な映像を見て、ただならない事が起こっていることを知った。更に筆者の故郷の会津若松市から百キロの位置にある原発がメルトダウン、事故後一ヶ月経ってやっと事故の深刻度は「レベル7」とされた。チェルノブイリ原発事故と同様、世界史上最悪の事故だ。筆者には日本列島はもう取り返しのつかない最悪の事態に陥ったと思われた。
 「科学哲学」とは、科学とは何か、どのように始まり発達したか、そしてどうあるべきかという思索である。本書はAI技術が人間の能力を超える、という時代を生きる若い世代に向けた、これ以上無い科学哲学の入門書であり、叡智のバトンである。科学は万能ではない。仮に科学が万能神に見えたにせよ素を質せばその正体は人間である。その能力の大きさは人間の欲望の大きさだ。
 西川徹郎は2019年9月、野家啓一著『はざまの哲学』(青土社)の、第四回西川徹郎記念文學館賞授賞理由として授賞式に於いて次のように述べた。

 「今現在に津波の如く未来する我ら人類の危機を如何に越えるか。本書は科学と哲学それ自体の危機と隘路を展く、人類の未来への希望の書である。本書には科学や哲学それ自体が内部にもつ危機性と対峙する哲学の眼が見開かれている。かつて西田博士は「絶対は永遠の彼岸である」と述べた。科学哲学は如何に窮めれども絶対の岸に至ることはない。今日の科学哲学は如何に反哲学反科学を自らの内部の胎児とすることが可能か。即ち「反哲学の哲学」「反科学の科学」こそが人類の未来を拓く。野家啓一著『はざまの哲学』の「狭間」とは、哲学が哲学それ自体と対峙し未来を拓く、真に稀なる哲理の眼を示唆している。」

 (『西川徹郎研究』第二集、2021年、茜屋書店)

 これは少年の頃より〈天才詩人〉と称ばれ、研ぎ澄まされた天性の感受性と真宗学者としての佛陀の哲学を持ち合わせた特異の詩人西川徹郎(徹真)にして初めて成し得た発言であったと思われる。
 この言葉は、2019年9月14日午後7時、北都旭川市に於る第四回西川徹郎記念文學館賞授賞式に於ける西川徹郎の発言であった。
 少年詩人だった頃より、極北の地、大雪山系に連なる新城峠に一人在って、夜毎、銀河の潺(せせらぎ)を聞き、その一筋の濃紺の耀きを仰ぎつつ磨き育ててきた詩人の感性が、未曾有の天才科学哲学者野家啓一の前に立って放たれたこの発言が、まさに地上の全人類の生命を巨大津波のように襲う人類の〈危機の予告〉であったかの如くであり、まさしく予言的な言葉であったのである。
 〈今現在に津波の如く未来する我ら人類の危機を如何に越えるか〉と述べたその三ヶ月後、即ち2019年12月、中国・武漢市で発生した新型コロナウィルス禍が、この日の西川徹郎の発言その儘にやがてアジア・日本を襲い、地上の全人類を大津波となって襲来することとなったのである。
 これはまことに不思議ではあるが、しかし決して単なる偶然では有り得ない。
 西川徹郎の詩人としての感性が、又真宗の仏教哲理に学んだ一人の生命体としての身体の総体が、未曾有の科学哲学者野家啓一との初の対面に於て強烈に響き合った撃発が齎した必然的発言であったのである。いわば新城峠の切り岸に立った一人の詩人が日本の哲学界の第一人者野家啓一氏の前で斯くなる発言をしたのには、西川徹郎の個人的理由があった。実に若き日の西川徹郎は、龍谷大学の自主退学の後、詩歌や文学のみならず、評論、美学、思想、哲学、心理学、精神医学、詩学、仏教学、真宗学、万端の書籍を連日未明迄、独学研鑽の日々を送ったのである。その少年期・青年期の書籍が西川徹郞記念文學館の一階講堂及び海底書斎の書庫や黎明學舎の経蔵に、例えば地方都市の公立図書館かと思われるほどの分量となり山積し今に遺されている。
 斯くなる熾烈な独学研鑽の日夜に於て、西川徹郞は夙に東京大学大学院で活躍し日本の思想哲学界で已にして知名の青年哲学者野家啓一氏を知り、その活動の眩く光輝する姿を窃かに遠望し、自分と同時代、同世代でありながら全く来歴を異としたこの突出した若き天才哲学者との遭遇の日が軈て必ず来たることを予感していたというのである。
 文學館「海底書斎」と名付けられた公開書斎の書庫には、滝浦静雄著『ウィトゲンシュタイン』(20世紀思想家文庫6、1983年、岩波書店)が収まっているが、その「あとがき」には著者の野家啓一氏へのウィトゲンシュタインの貴重な文献の提供や助言への謝辞が述べられている。
 又「現代思想1985.12臨時増刊号、総特集ウィトゲンシュタイン」掲載の論文があり、これらには野家啓一氏の若き日の学究愛とでもいうべき真摯な論文資料が収まっている。
 又野家氏の名著『物語の哲学』(岩波現代文庫、2005年)を始めとした数々の名著は、しばし寝室の夜毎の枕辺に在った。
 それ故、2010年5月、野家先生が「読売新聞」(2010年5月16日付)に、文學館発行の森村誠一著『永遠の青春性―西川徹郎の世界』(茜屋書店、2010年)を「寺山修司の名著『田園に死す』の再来」との絶賛の書評が掲載された時、「あの野家啓一氏が!」という驚声を禁じ得なかったのである。

魔球!?ホームラン!!新城峠大學、西川徹郎記念文學館

 受賞記念講演での椿事
 表題の出来事に就いても此処で記しておきたい。
 『西川徹郎研究』第二集に収録された綾目広治、野家啓一両氏の講演録にある通り、綾目氏は、2019年9月14日、当日夕刻に行われる第4回西川徹郞記念文學館賞の授賞式に先立つ、文學館館内を会場とした午後1時からの〈新城峠大學受賞記念講演〉を野家氏に先立って「西川文学と世界思想」と題した講演を行い、その締め括りに、西川徹郎の二つの文章を掲げた。
 その一つが、西川徹郎が2002年に『星月の惨劇―西川徹郎の世界』(茜屋書店)の刊行に際し書き下ろした論文「〈火宅〉のパラドックス―〈実存俳句〉の根拠」からの引用である。
 綾目氏は、いきなり「今や観念の奴隷となり下がった哲学(者)の閉塞性や国家権力に支えられたアカデミズムの軽薄性」という言葉を、魔球の如く放って来たのである。
 この言は、「〈火宅〉のパラドックス」の第三項「俳句は哲学ではない」にある言葉で、西川徹郎はその論文の中で、先ず「俳句は哲学である」と語る大家然とした俳人の思想的迷妄を指摘し、「本来、俳句や詩や文学は、〈哲学〉よりも遙かに上空を飛翔し、地上の閉塞した人間の意識や観念や哲学や思想を問い質し、それらを打ち破るかたちで屹立する圧倒的な言語的想像力の営為であり、けしてその逆ではない」と、学問や学術に対して俳句の上位性を述べ、返す刀で「今日の俳壇」という「虚構社会」に対し「俳句総合誌という名の商業主義と国家権力の統制を齎す怪しきアカデミズムとの合体が、俳句の国際化の風潮の下で密行して進むことを危惧する」と述べている。
 その後に、綾目氏の引用するところの「俳句というこの優れた言語表現の詩形式は、今や観念の奴隷となり下がった哲学(者)の閉塞性や国家権力に支えられたアカデミズムの軽薄性を打ち破り、(略)未知なる世界の領有を希求し実現する唯一の手立て」であるという言葉が続くのである。西川徹郎の俳句思想と実践とを表明した、「〈火宅〉のパラドックス」という論文のハイライトというべき部分であるが、その部分のみを取り出すと、次の講演者が日本の哲学界の第一人者であることも相俟って、「観念の奴隷となり下がった哲学(者)云々」の部分のみが余りにも強烈な閃光となって目眩ましの如く、聞く者の耳を奪ってしまうのである。
 この言葉を以て綾目氏は講演を締め括り、筆者は息を飲む思いで、演台間近で綾目氏の講演に聴き入る野家啓一氏の様子を垣間見た。野家氏は顔色一つ変えず、次の講演者として演台に立つと、聴衆の緊張をほぐすかのように穏やかな表情で自己紹介を行い「先ほど綾目先生のご講演の際に観念の奴隷となった哲学及び哲学者という言葉が出て参りましたが」と、バシッと魔球を受け止めて「最初に皆さんに一つクイズを差し上げます。アインシュタインとモーツァルトとどちらが偉いでしょう?」と問い掛けた。会場の聴衆が引き込まれていく中で野家氏は、ノーベル賞受賞者の小柴昌俊博士の答えはモーツァルトであり、アインシュタインが生まれていなくてもいずれ誰か科学者が特殊相対性理論に到達したであろう、しかし、小林秀雄が〈疾走する悲しみ〉と言ったモーツァルトの交響曲四十番は、モーツァルトが生まれなければ我々は聴くことができなかったでしょう、と述べ、西川論文の意を汲んで科学と芸術との違いを明らかにした上、西川徹郎の俳句藝術のかけがえのなさを述べたのである。
 その結果、魔球はホームランとなって宇宙の彼方まで飛んだ。戦後日本の〈知の巨人〉の一人に数えられる大家大人としての哲学者野家啓一氏の姿を目の当たりにし、鮮やかな劇的展開に眼を瞠った出来事だった。
 この度の野家啓一氏の新著『3.11以後の科学・技術・社会』は、科学哲学者としての野家氏の真摯な科学批判の書であり、「科学」の語源は「知る」、即ち人間の有限性を知るということを読む者の心に刻む、極めて貴重な書である。有為の青少年たちに是非読んで欲しい一冊である。

志村有弘著『山峡奇談』『図説 遠野物語』─日本文学の源流

 相模女子大学名誉教授志村有弘氏は北海道深川市出身の文芸評論家、伝承文学研究家であり、膨大な著書、編著を持つ。事象に対するアプローチには、「志村民俗学」とでも名付けるべき際立つ独自性がある。
 

その一端が顕れたのが、2010年西川徹郎の『西川徹郎青春歌集―十代作品集』に熱い賛辞を寄せ、「かつてこれほど清廉で哀切極まりない青春歌集が、日本の文学の歴史に存在したであろうか。/ヒタヒタと押し寄せる青春の痛みと哀感。少年詩人の繊細な心が悲しい旋律を奏でる。私はその美しさの前に言葉を失った。」と書く、対象に寄り添い感愛する姿である。

無垢の純情と失われたものへの尽きない哀惜が、志村有弘の豊穣な文学世界にたゆたっている。
 新著『山峡奇談』(河出文庫、2020年)は、古代から昭和に亘って諸国に伝わる怪談・奇談を『日本霊異記』始め『奇談雑史』『怪談実話揃』他の豊富な文献から著者が現代語訳して集成したもの。『奇談雑史』中の「狐に誑かされた男」は、明和年中という。江戸時代である。大坂城南木津村の「男気を好み、ただ強いことで人の上に立つことを好」む、平蔵という若者が、人を誑かす阿辺野の野狐を世のために捕らえてやろうとしたものの、次々と狐たちの仕掛けてくる巧妙な心理作戦に翻弄され、結局髪を剃られてしまう。「そのとき四方よりどっと笑う声が木霊となって響いて物凄い力で聞こえたので、平蔵は初めて気づき、あたりを見ると、髪の毛は落ち散っていて、自分は草の上に座っていた」というラストシーンは、早くも近代小説の趣きだ。自然への畏怖を失い、自然を凌駕しようとする人間への、自然の側からの報復が四方から木霊となって響き亘る「どっと笑う声」である。
 同書の末尾に「附録」として秦憲吉「山窩綺談 釈迦ヶ嶽のおせん」が収録されている。
 山窩の娘おせんに親切にされた薬売りの「私」は、狼に噛まれ重傷を負った娘の父を看取り、隠語で「死骸(おろくじ)」になった父を、断崖絶壁にある「死骸谷」の洞窟に娘が葬るのを見届ける。強く美しい山窩の娘のとりこになった「私」は、旅の途中であることも忘れて八日余り一緒に暮らす。娘のいじらしさに、「私」は離れられない。そこにおせんを女房(きゃはん)にしようとする山窩の若者がやってくる。親分の許可を貰って来た若者をおせんは拒み、「あたいは、薬屋さんの女房だげ」と告げる。若者は普通人(とうしろ)と関係した娘に「掟破りだッ、罰は殺しだ」と喚いて襲い掛かる。山刃で若者を刺殺したのはおせんの方だった。「私」は驚愕しておせんに、自分には故郷に女房も子供もあり、お前と夫婦にはなれない、帰らせてくれ、と云って謝る。「そんなら薬屋さんは、あたいを騙したのけ?」と尋ねるおせんの瞳。「私」は弁解しようとして諦め、「私が憎ければ、どうでもお前の気の済むようにしてくれ、男らしく裁きを受けよう」とおせんの前に跪く。分かったげ、と云うおせんが、得心してくれたと「私」は思う。おせんは「さようなら」と云い走り出す。「私」が見たのは断崖絶壁から身を投げ胡蝶が舞うように消え去るおせんの姿だった。
 おせんの純真と強靱な意志とはかなさを尊重し愛し、本書の最後に掲げずにはいられないところに、志村有弘の文学の真骨頂がある。
 著者が怪、奇、怖を視座とした著書を多く持つ所以もここに通じる。志村氏は、日本の怪異の世界の事象を、その起源から現代社会・文化へ与えた影響に及ぶまで検証、考察した〈不可思議総合事典〉というべき編著『日本ミステリアス妖怪・怪奇・妖人事典』(勉誠出版、2011年)の「はじめに」で次のように述べている。

 幽霊や妖怪が出現するには、それなりの理由が存在するに相違ない。/歴史は勝者が書くものである。特に戦いの場合、理由がどうであれ、敗者や死者に弁明の余地はない。(略)浮かばれない者たちはどうすればよいのか。それが怨霊となる。歴史を書いた人たちの住む場が光の当たる世界であるならば、怨霊たちの住む世界は陰の世界、闇の世界である。人間は闇の世界の存在を忘れてはならないと思う。

 志村有弘の文学は、闇の中の声なき声を掬い取るのである。声なき声を聴き留めるところに、日本文学の源流がある。
 志村有弘監修『図説 日本の異界を歩く! 遠野物語』(青春文庫)は、豊富な図版と学術的で詳細な解説で読む『遠野物語』。志村氏は『遠野物語』を、「魅惑的な、奇異なる事件」の中に「人間社会の真実なるものや教訓を感じ取ることができる」「柳田國男という不世出の文人の手に成った説話集」と伝承文学史の中に位置付ける。三島由紀夫が「丸き炭取なればくるくるとまはりたり」の一節に拠って「ここに小説があった」と『遠野物語』を絶賛した逸話にも触れている。本書は、現実と地続きでありつつ時空遙かな遠野を巡り歩く愉しみに満ちている。

志鈴木創士氏の小説『うつせみ』に、西川文学が登場

 本書は、『ランボー全詩集』(河出文庫)の翻訳者である仏文学者、ミュージシャンで天才作家である鈴木創士が、『離人小説集』(幻戯書房)に次いで放つ長編小説。
 可憐で果敢で強靱な希有の現代小説である。導入部からが、「昔々、おじいさんは実は山に芝刈りに行ったことなどなく、たまたま川に洗濯にでも出かけて(略)」「しかしながら、というかそれだからこそ、おばあさんは随分前に川に洗濯に行って川に落ちて鬼籍に入ったと皆が噂していたのですが、実のところ、いつものようにこっそりと山に芝刈りに出かけ(略)」と、「日本昔話」の微笑ましさを纏いつつ不穏限りなく、おじいさんとおばあさんは出掛けたきり帰ってこない。
 本書は「第一章 日誌」と「第二章 廃址」との、韻を踏んだ二章から成るが、この章立てにも、文学を不自由にする時間と空間とを攪乱し、文学を目覚めさせようとする周到な著者の意図がある。
 「第一章」は語り手の「僕」の日付の入った日誌であり、日誌中に「僕」と一緒に住むおじいさんの「脱腸亭日乗」と題された日記と、おじさんの手記(「僕」はこれ見よがしに家の中に置いてあるそれらを、いわば盗み読みしている)が引用され、それらの引用が織物のように日誌を構成する。おじいさん、おじさん、僕の三人の関係は、「僕」に拠れば京都の太秦の木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社の三柱(みはしら)鳥居に少し似ている。三柱鳥居とは、「鳥居が三つ正三角形に組み合わさっていて、柱を隣の鳥居と共有しているため、全部で三本ということになる。上空から見ると正三角形になっている。三つのうちのどの鳥居をくぐっても、見かけの上ではどこへも行けない。入ってもすぐに別の鳥居の入り口から出て行くしかないからだ」(傍点原文)と説明される。
 この僕の「日誌」中のおじさんの「手記」中に、西川徹郎の俳句作品が「反定型の定型」俳句として登場する。おじさんの挙げた三句は、次の如くである。

  いっしんに産婆とのぼる鬼神峠      (筆者註、句集『無灯艦隊』所収)
  父の陰茎を抜かんと喘ぐ真昼のくらがり        (〃『瞳孔祭』所収)
  産道で出会った悪魔美しき    (〃『幻想詩篇 天使の悪夢九千句』所収)

 更におじいさんの「脱腸亭日乗」には、「ここでわしが刮目して読んだ北海道芦別の俳人西川徹郎氏の俳句をひとつ引用しておこう」とあり、

  剃髪前夜河童の皿の星数え 
     (筆者註、句集『幻想詩篇 天使の悪夢九千句』「第十章 天使の悪夢」所収)

が掲げられている。おじさんの手記には、俳句について「シロウトが破格を書くのはとても難しいが、破格俳句に惹かれる今日このごろである」とあり、「破格俳句のリズムは他の文章のリズムとは異次元にある。それでいてひとつのまとまりのなかに収まっている。十七文字を超えたとしても十七文字である」と評されている。
 本書の小説世界は、西川徹郎の文学世界の如く、眼に見えないものを見、聞こえない声を聴き、表現不可能なものを表現しようとする気迫に満ちていて一瞬の弛みもない。読む一行一行が眼が眩むようなイメージと思索の体験であり、読む者が頭蓋骨ごと激しく揺さぶられたような見知らぬ記憶までもが揺さぶられる。それが、最後の最後まで続く。このような小説は、日本の文学の歴史に存在しない。まさに天才の所作である。
 「第一章」には、おじさんの小説「浜辺の家」が、劇中劇のように収められ、この「浜辺の家」が「第二章」の「廃址」に重ねられる。「第一章 日誌」の語り手は「僕」だが、「第二章 廃址」の語り手は「僕」の二歳違いの従兄の「私」である。何十年も音信不通であった、たった一人の血縁である従弟を訪ねて「私」は彼の住んでいた家に向かう。共に快活な幸福な子供時代を過ごしたその場所は、浅茅が宿の如く夏草の生い茂る廃屋となっていた。何とか中に入り込んだ「私」は、椅子の下の埃まみれの革鞄の中に従弟の「日誌」を発見する。日誌の最新の「二〇一九年」という日付に「私」は茫然とする。
 本書の中では、時間も場所も、登場人物たちも、犬のガブリエルも、本当にあったのか無かったのか、いたのかいなかったのか、わからない。ただ、「第一章」中に、おじさんの小説「浜辺の家」の登場人物として、東洋風のアヌーク・エーメと喩えられるヒロイン「異邦の女」が暗闇から嵐のように登場し、消え去っていた。余りにも謎めいた従弟の「日誌」に引き込まれるように、「私」は、タクシーで再度、廃屋となった家に向かうのだが、そこに一人の女性が佇んでいるのに気づく。タクシーは速度を落とし、女性の側を通りかかる。女性のプリーツ・スカートが微風に靡く。「私」はその三十代後半くらいに見える女に、従弟の妹の存在を重ねようとするが、全く別の女だ。――「「異邦の女」という言葉が思わず口を衝いて出そうになる」。このラストシーンに、三島由紀夫であったら「炭取が廻った」と叫ぶだろう。 
 本書は、広島への原爆投下や東日本大震災の惨劇も、登場人物たちの時空を超えた夢現の惨劇も、等価に刻印された希有の実存小説である。
 本書に引用された西川徹郎の実存俳句の一句、
   産道で出会った悪魔美しき 徹郎
の悪魔が、それを保証しているのである。

小林孝吉氏の大著『内村鑑三の聖書講解─神の言の
コスモスと再臨信仰』

 著者は文芸評論家・学術博士。青年時代に椎名麟三を通して文学の道に入り、「自由の水脈」とでもいうべき生命の水音を聞き取って以来、文芸評論家として一貫して人間の「存在と自由」に就いて思索し考究し続けてきた。
 著書に『椎名麟三論 回心の瞬間』(菁柿堂)、『滝沢克己 存在の宇宙』(創言社)、『銀河の光 修羅の闇―西川徹郎の俳句宇宙』(茜屋書店)、『埴谷雄高『死霊』論―夢と虹』(御茶の水書房)他多数がある。博士論文「滝沢克己・椎名麟三・内村鑑三におけるキリスト教受容の文学的研究――「インマヌエル」「復活」「再臨」を中心とした批評的考察」(2018年授与)。
 本書は、近代日本に於て宗教思想界に一人顕れ、現代日本の宗教思想・文学等に多大な影響を与えた偉大なキリスト者内村鑑三(1861~1930)の精緻な評伝である前著『内村鑑三―私は一基督者である』(2016年、第3回西川徹郎記念文學館賞受賞)に次ぐ、著者の二冊目の内村鑑三論。
 前著『内村鑑三―私は一基督者である』について、第3回西川徹郎記念文學館賞授賞理由として西川徹郎は、記者発表会に於て「本書は、内村鑑三という日本近代が生んだ偉大な宗教者の評伝だが、内村鑑三と真正面から対峙した著者が内村鑑三の内部世界の苦悩を見事に描き出し、苦悩が人間を救済し、人間の苦悩や酷痛が人類の灯となる様相を描き出したのが本書である。〈人は苦悩を如何に越えるか〉という人生の根源的な主題を正面から問う本書は、一宗教者の人生を対象とする評伝でありながら人間存在の普遍的な根源的意味を開示している。本書は〈文学の普遍性と永遠性〉を追究する西川徹郎の〈十七文字の世界文学〉の理念とも通底している」(「北海道新聞」2016年4月24日付)と述べたが、本書では著者は、内村鑑三が信仰的生涯を賭けて成した聖書講解を読み解く。
 本書に就いて著者は「この五年間、精魂傾けて書き上げました」(西川徹郎宛私信)と前置きして、次のように語っている。
「それは内村鑑三の旧新約聖書66書の聖書講解を通して、旧約聖書の「楽園喪失(パラダイス・ロスト)」から、新約聖書の「楽園回復(パラダイス・リゲインド)」、「ヨハネ黙示録」による楽園完成として「再臨信仰」への福音の水脈をたどることで、この困難に満ちた未来社会への希望を見つめるとともに、私自身の懐疑の森から信仰への道を踏み分けることでもありました。
 私にはそれは気の遠くなるような困難な道程に見えましたが、聖書を一書ずつ読み進めつつ、内村鑑三の聖書講解の批評を重ねていくにつれて、その険しいはずの孤独な道は、周囲の光景はいつしか喜びに満ちたものに変わっていったのです。路傍には、いままで気がつかなかった小さな野の花が咲き、木々は風に揺れ、ときに雨が降り注ぎました。それはまぎれもなく天然の宇宙のように感じました。」
 3.11後、著者は「これまでにない深い懐疑に囚われ、心身の不調に陥」り、「世界は死の影に蔽われていた」という。しかし、内村鑑三の聖書講解と共に聖書66書を辿る著者の道のりは、「新生命」を心に注がれる旅路であった。著者は内村鑑三の次のような言葉を掲げている。
 「キリストは懐疑の最良の治療者である、彼は生命の理由を説かざるも、生命其物を供して懐疑を消散する者である」。
 著者は、66書の最後の書「ヨハネ黙示録」に記された「主よ、来たりたまへ」「然り、われ速やかに至らん」という宗教的な応答に、内村鑑三の再臨信仰の永遠なる希望の源泉があると述べ、晩年の内村鑑三が確信した「聖書の開かれた奥義」(傍点原文、以下同)とは、キリストの再臨と再臨信仰であると結論する。
 そして、それは、未来ではない。「キリストが臨(きた)りつつあるときとは、最初のエデンの楽園での「あなたはどこにいるのか」という神の呼び声とともに、審(さば)かれ悔い改めを求められる現在(いま)なのである」と著者は述べる。キリストは現在過去未来に活き、臨りつつ、懐疑の者に新生命を注ぐのである。
 本書は、五年の歳月に亘り1000枚に及ぶ原稿を書き継いで成った。前著にも増して、宗教思想家内村鑑三の卓越した宗教観・人間観・世界観を鮮明にするものである。
 「人類の終末史」というべき今日までの人類の歴史に対し、著者は敢然と未来への希望の光として、内村鑑三の聖書講解の結論を掲げる。「人は、この新しい楽園を生きる、と」――。
 著者は内村鑑三の三十三歳の折りの講演「後世への最大遺物」を想い、次のように述べる。「この美しい地球に、社会に、遺すもの、Memento(メメント)、それはこの世は悲しみの世ではなく、希望の世であること、悪魔の世ではなく、神の世であること、それを信じて生きた一個の真面目な生涯、それこそがだれでもが遺すことができる後世への最大遺物である、と。私もそのように生きたい」(「あとがき」)。
 最後に「私は「3.11」と、パンデミックによる多くの死者に、本書を捧げたい」(同)と認められている。

生物学者 戸島あかね、登場!!

 文學館図書編集委員戸島あかね氏が、2020年6月ネイチャーマガジン「モーリー」6月号に「大雪山のセイヨウオオマルハナバチ」と題した論文を発表している。
 セイヨウオオマルハナバチは、その名の如く外来種で、在来のエゾオオマルハナバチを駆逐する勢いで生息地域を増やしている。それにどのように対応するか。戸島氏は現況の報告をしつつ、関係者の連帯を求め、具体的な提案を続けてゆきたいとしている。
 氏は山口県生まれ、北海道大学森林科学科卒業。生物学者。山口県林業技術職員、美瑛町移住後、十勝岳砂防施設管理業務を経て現在、会社員。大雪山マルハナバチ市民ネットワーク事務局長。
 文學館活動をボランティアで支える「西川徹郎記念文學館詩と表現者と市民の会」(通称「文學館市民の会」)のメンバーは多彩な人々から成っている。それぞれの得意な分野での協力を頂いているが、戸島あかねさんは開館以来、デザイナー、イラストレーターとして文學館の支援を続けて来た一人だ。
 今後も文學館図書編集委員としてのご活躍を頂くことになっています。

(作家・文藝評論家 斎藤冬海 Saito Fuyumi)