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    • 発信人 西川徹郎・斎藤冬海

      銀河系通信ブログ版 2025年05月18日

      浄土真宗本願寺派前門主大谷光真著
      『死刑制度を問う─仏教・浄土真宗の視点から』
      刊行される!

      2024年11月20日春秋社刊
      定価2,500円+税

       日本は、国家の制度として、刑法で死刑という刑罰を定めている死刑制度存置国である。本書はこの国家のあり方に対し、釈尊の言葉「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』)を掲げ、死刑制度の問題点を論じる。
       著者は、死刑制度を支持する人々が、実は死刑制度の実情をよく知らない、としてヴェールに覆われた現代日本の死刑制度を具さに検討してゆく。
       そして、仏教者の立場から、この制度の中で、唯一一貫しているのは、国家権力が国内の人間の生殺与奪の権利を保持し続けたいということだけなのではないか、という根本的な疑問を呈する。言うまでも無く、人が人を殺し、殺さしめるのは、死刑、そして戦争である。「本書は、日本国が立憲主義、民主主義国であってほしいという前提で書き進めた」(「序論」)とある如く、この書は日本が真の民主国家となることを願う書である。 
       第一章「死刑制度とその問題点」では、賛成論と反対論、人権、日本の死刑制度の歴史、死刑制度の何処が問題なのか、死刑の根拠となるのは何なのか(「命を奪った者は命で償え」論、「被害者情」、「抑止効果」等)が、詳しく論じられる。
       第二章「本の刑事司法の問題点」では、死刑の確定から執行に至るまでの問題点が挙げられる。執行責任者について、死刑となる基準の曖昧さ、三審制、情状酌量について、冤罪・誤判の可能性、被害者支援、「〈生きた臓器バンク〉と呼ばれる死刑囚」等が精緻に論じられる。
       第三章「宗教倫理からみた死刑制度」に於いては、現代日本で教誨師と呼ばれる民間の宗教家の活動を、空也(903~972)や永観(1033~1111)等の事績に遡り、今日までの歴史を辿ってその意義を明らかにする。更に仏教・キリスト教・中国思想(『論語』)の視点から死刑制度を論じる。

       仏教は、根本的に「私が人間に生まれた」ということを喜ぶ教えである。何故なら、生まれ難い人間に生まれることによって、初めて釈尊が人間の言葉を以て説いた仏教に出会い、法を聞く身となることが出来るからである。
       平安時代の僧で『往生要集』を著わして浄土教を鼓吹した源信(942~1017)は、一紙の法語「横川法語」を「まづ三悪道を離れて人間に生まるゝこと大きなるよろこびなり」と書き出し、「信心あさけれども本願ふかきゆへに、たのめば必ず往生す」「功徳莫大なる故に本願に遇ふことを喜ぶべし」と続けている。
       浄土真宗を開いた親鸞(1173~1263)が、「和国の教主」(『正像末和讃』)と呼んで尊び讃えたのは聖徳太子(574~622)であった。聖徳太子は、日本に伝来した大乗仏教の精神を以て「十七条憲法」を制定し、経典を解釈した書を著わして、当時は他国の宗教であった仏教の受容を進めた。注目すべきことは、代表的な大乗仏典である『維摩経』を釈した書である-『維摩経義疏』「仏国品」の項に於て日本で初めて浄土真宗の正依の経典『仏説無量寿経』に説かれる阿弥陀如來の本願を釈していることだ。
       弥陀の「本願」とは、あらゆる衆生を救い、殊に「五逆謗法の者をこそ救う」という所謂「悪人正機」の大悲の大願である。聖徳太子は全ての衆生が救済されてゆく阿弥陀如来の大悲の教えこそが大乗仏教の真髄であることを見抜き、この仏教精神を以て日本国を建立せんと願ったのである。
       他の仏によっては救われることのない「五逆謗法の者」とは何か。
       親鸞は「五逆」に就いて「一には故(ことさら)に思うて父を殺す、二には故に思うて母を殺す、三には故に思うて羅漢を殺す、四には倒見して和合僧を破す、五には悪心をもて仏身より血を出す」を挙げている(『教行信証』)。又、「謗法」とは、仏法を誹(そし)り侮(あなど)る者である。
       元より地獄に堕すべき存在が「五逆」、浄土に往生する筈のない存在が「謗法」の人々である。「ことさらに思うて」とあるのは、「殺す」とは人が心に思うことも含む意である。「五逆」も「謗法」も、他人事ではない。
       親鸞が『歎異鈔』に於て「我が心の善くて殺さぬにはあらず」といい、「さるべき業縁の催せば如何なる振舞もすべし」と看破した如く、仏法に遇うことがなければ救われることのない存在が仏教の説く人間観なのである。
       同時に、仏教に於いては、「人身受け難し、今已に受く」(「三帰依文」)と説き、人間として生まれた者は、それだけで尊い存在であるとする。仏法を受ける身となる存在であるからだ。「仏願力を以て、五逆と十悪と、罪滅し生を得しむ。謗法闡提、廻心すれば皆往く」(『教行信証』引文)と親鸞は説く。
       本書に掲げられたブッダの言葉「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」とは「人間として生まれた者の尊厳」を何人も奪うことは出来ないことを表わすものに他ならない。

       近代文学の作品で、この仏教精神を顕わしているものの一つが太宰治(1909~1948)の作品「走れメロス」である。太宰治は同時代の宗教者内村鑑三(1861~1930)の無教会主義のキリスト教にも深い共感を示しているが、浄土真宗の信仰厚い家庭に生まれ育ち、生涯『眞宗在家勤行集』(筆者註、在家用の聖典)を手放さなかった。(津島美知子『回想の太宰治』人文書院)
       短編小説「走れメロス」は、正義の心から、臣民を疑って殺戮を続ける邪智暴虐の王を殺そうとするメロスが逆に王に捕らえられ、親友を人質にして王に預け、三日間の猶予をもらってたった一人の家族である妹の結婚式を挙げさせ、自らが磔刑にされるために再び王の許へ走り続けて戻る、というあらすじである。
       この物語の刮目すべきところは、「殺さねばならない」ところから始まって誰一人「殺したり、殺されたりしない」結末であることだ。メロスの走る長い時間と距離は、「殺す」ことから「殺さない」ことに至る迄の長い時間と距離なのである。
       長い道のりを走り続ける中で、心身ともに疲弊したメロスは「人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか」と半ば希望を捨てかける。僅かなまどろみの後、足元に水の流れる音を聞く。「岩の裂目から、滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出てゐるのである」(傍点筆者)メロスはその水を一口飲み、夢から覚めたように再び走り出す。太宰治は、この「小さな囁き」が、何であるとも書いていない。
       しかしながら、人間の迷いの大夢を破る真実の声であることが描かれている。これこそが、太宰治が幼少時より聞き続けてきた阿弥陀如來の「南無阿弥陀佛」の呼び声であると読み取ることが出来るのである。

       西川徹郎(本名西川徹真、真宗学者)はかねてより死刑制度廃止を唱え、二〇一九年の第四回西川徹郎記念文學館賞授賞式(受賞者は哲学者・東北大学名誉教授で日本学術会議哲学委員会委員長野家啓一、文芸評論家・ノートルダム清心女子大学名誉教授綾目広治の二氏)に伴って開かれた受賞祝賀会(於旭川市)の壇上にて、北の地に在って死刑制度廃止運動を続けてきた旭川市在住の弁護士・八重樫法律事務所所長八重樫和裕氏に、その活動についての講話を依頼している。
       今秋発足する[極北の詩人西川徹郎學会]に於ては、今後死刑制度廃止に向けた研究活動を継続してゆく所存である。
      (斎藤冬海Saitou Fuyumi、作家・西川徹郎記念文學館館長・學藝員・[極北の詩人西川徹郎學会]事務局長、本名西川裕美子、真宗学者、黎明學舎・教行信証研究会講師)

       大谷光真(おおたに・こうしん)氏は、1945年生まれ。東京大学文学部卒業、龍谷大学大学院修士課程修了、東京大学大学院修士課程修了。浄土真宗本願寺派第二十四代門主。『いまを生かされて』『世のなか安穏なれ』等多数の著書がある。

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