新城峠大學 文藝講演会
新城峠は、日本の詩歌界の第一人者で、第七回日本一行詩大賞特別賞受賞者である極北の詩人 西川徹郎の文学のふるさとです。
二〇一四年西川徹郎記念文學館が開校した新城峠大學文藝講演会とは、現代の苦悩多き青少年へ向けた詩人西川徹郎のメッセージです。
地方に在住する青少年や市民が、この地に居ながらにして現代日本の最高峰の詩人や作家、哲学者等の肉声に依る講義や講演を聴く、その稀少な機会が「新城峠大學」です。人生の苦難や苦悩に打ち克って生き抜く力をすぐれた文学や詩歌は内在させています。社会の歪みや教育現場のいじめ等が日常化した現代日本の荒涼とした社会情況に在って、詩人や表現者、更には教育者や宗教人は、今こそ人生の酷苦を越えて生き抜く道を人々に伝えてゆかなければならない時だ。地方に生きる市民や青少年が、現代日本の傑出した詩人や作家や哲学者等の肉声に依る講義や講演を聴く、文学や哲学のその精髄から発せられる聲や言葉に遇うことは、必ずや彼等の心に強い激励の灯となって人生の苦難を越える力となるに違い無い。「新城峠大學」はこのような理念と基本精神を以て非定期的に開校し、西川徹郎記念文學館のボランティアの市民の会「詩と表現者と市民の会」の皆さんの力を結集して開校されています。
主催 西川徹郎記念文學館
後援 極北の詩人西川徹郎学会
西川徹郎記念文學館 詩と表現者と市民の会
黎明學舎 教行信證研究会
新城峠の秋津そのⅠ
新城峠の絶景は私の文学のトポス
西川徹郎
少年の日、私は学校から帰ると
一人で砂利の坂道を自転車を漕いで、
新城峠の頂に立つのが常だった。
雪が解けて五月ともなれば、
峠の丘陵の緑の草木の遥か彼方に、
大雪山系の連峰の白銀に輝く山稜が
くきやかに見える。
私は新城峠のこの絶景に立って
沢山の俳句や短歌や詩を作り、
〈永遠の少年詩人〉と呼ばれるようになった。
新城峠は夏から秋にかけては、
辺り一面が秋津の国となって、
峠の広大な峡谷は昼も夜も
この透き通った精霊たちの羽ばたきに覆われてゆく。
私は今もこの新城峠の麓の町に住んで、
俳句という〈十七文字の銀河系〉を書き続けている。
まるで月夜に青い夢を見るような、
富良野芦別道立自然公園の
新城峠のこの絶景が、
世界にも稀な〈17文字の世界藝術〉としての
〈極北の詩人西川徹郎の銀河系HAIKU詩〉を生み育んだ
魂の原郷(ふるさと)であり、
新城峠大學開校の起点なのである。
「新城峠は私の文学のトポス」に基き、加筆と改稿を施した。
『北海道文学館』編集部様に御礼申し上げます。
新城峠の秋津そのⅡ
西川徹郎NISHIKAWA TETSURO
私の在住する芦別市新城は、北海道は上川郡と空知郡の境界に位置し、北の石狩川と南の空知川に挟まれた山峡の村である。
私はこの極北の寒村に淨土眞宗本願寺派の寺庭として生まれ育った。村の最北端が峠となっていて新城峠と呼ばれている。
少年の頃、私は幾度も自転車を駆って独りでこの峠へのぼ上った。峠に特別な何かが在るというのではないが、遥か北東の彼方に大雪山系の十勝岳や普賢岳、富良野岳といった峻峰の尾根が白銀のうねりを露わに見せている。
新緑や青葉の季節は、峰峰が強い意志を主張するかに一層山稜の白銀を際立たせるのである。
群れを離れた鶴のなみだ泪が雪となる
(2007年『決定版 無灯艦隊─十代作品集』沖積舎)
秋は秋で言葉では遂に言い表わしようのない光景をこの峠は見せてくれる。山峡の村じゅうに棲む幾万、幾十万といった無数の秋津たちが、シルクの羽根を帆のように打ち震わせながら峠の峡谷を易々と往き交うのである。
満月の夜などは殊更幻想的な思いを掻き立たせられる。月の光を浴びて蘇生したかに飛び回る秋津たちの美しさは、私には此の世のものとは如何にしても思うことが出来ない。
果たして彼らは月の光を真昼の日の光と過ちて飛び交うのであろうか。あるいは燦燦と降り注ぐ銀河と月の余りに青々とした妖しい光に誘われて飛び交うのであろうか。
峠の頂上に立つ時、私の身体擦れ擦れに往き交う彼らの姿態が驚くほどくきやかに見えて、私はその余りの美しさに言葉を失う。
そればかりではない。耳をそば立て聞き澄ますならば、青々とした夜の光の中で羽ばたく村じゅうの秋津の羽擦れの響きが余りに鮮明に聞こえて来てわが耳を疑うのである。
中秋の名月ともなれば、少年の頃の私はきまって深夜の寝床を抜け出し、その余りにも澄み切った美しい轟きを聴きに自転車を駆ったのである。
峠まで渦巻銀河に跨がって
(2003年・第13句集『銀河小學校』沖積舎)
抽斗の中の月山山系へ行きて帰らず
尖塔の中じゅう秋津月夜ゆえ
学校の中じゅう秋津月夜ゆえ
郵便局の中じゅう秋津月夜ゆえ
月夜ゆえ秋津轟き眠られず
(1992年・第8句集『月山山系』茜屋書店)
『無灯艦隊ノート』刊行当時、西川徹郎の幻想的俳句とエツセイを読んで驚嘆した哲学者で評論家の梅原猛氏(当時、国際日本文化研究センター代表・日本哲学会会長)は、西川徹郎のエッセイを「ボードレールの散文詩に喩え」て絶賛し、超現実的手法による俳句作品を「実存を超えている」と論評した。(2002年『星月の惨劇─西川徹郎の世界』書誌茜屋、現茜屋書店)
新城峠の秋津そのⅢ
日本文壇の代表作家 稲葉真弓 最後の手紙
新城峠はもう秋ですか
私はきっと赤い蜻蛉となって、
あなたの住む峠の国を訪れることでしょう。
作家・詩人稲葉 真弓Inaba Mayumi
西川さん、新城峠はもう秋ですか。
もう秋津の国ですか。
新城峠大學のお話を戴きながら、
お応え出来ない私をおゆるし下さい。
品川で初めてお会いした時、
西川さんは私に
「数え切れないたくさんの秋津が、
透き通ったシルクの羽根を、旗のように靡かせながら、
月の出間近な峠をいっせいに越えてゆくのだ。」
と言われましたね。
私は、西川さんの新城峠の頂に立ちたかった‥‥。
新城峠大學のご成功をお祈りしています。
西川さんの俳句は本当に凄い。
だれ一人として書くこと出来なかった
全く独自の文学世界です。
西川さんは清冽で、
紺青の海のように透きとおった
〈永遠の少年詩人〉。
ランボーやボードレール
世界の詩人と向き合う
日本の唯一人の天才詩人です。
私はきっと赤い蜻蛉となって、
あなたの住む峠の国を訪れることでしょう。
さよなら、西川さん。そして、ありがとう。
■稲葉真弓 Inaba Mayumiについて 1950年愛知県生まれ。詩人・作家。日本文壇の代表作家。1973年婦人公論女流新人賞で文壇へデビュー。
1988年西川徹郎第五句集『町は白緑』(1988年・沖積舎)の〈実存俳句〉を知って衝撃を受け、以降最期迄、「読売新聞」等の諸紙誌へ西川文学の紹介に努めた。
2007年川端康成文学賞、同年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2011年谷崎潤一郎賞受賞。代表小説に『半島へ』『エンドレス・ワルツ』など。
2007年2月、西川徹郎と稲葉真弓は東京品川で初会談。その折の写真が西川徹郎記念文學館に展示されている。
稲葉真弓の西川徹郎論は2002年西川徹郎全句集刊行記念論叢『星月の惨劇 西川徹郎の世界』(梅原猛・森村誠一・立松和平・稲葉真弓・松本健一・笠原伸夫ほか共著、A5判726頁建/茜屋書店)の巻頭論文「言葉の無限樹海 西川徹郎の世界へ寄せて」等がある。
2014年8月30日NTT東日本関東病院で64歳で逝去。同年6月頃二度本人より編集室へ電話が入った。二度とも「西川さんの本は厚くて重くて院内の持ち歩きが大変です」と云った内容だった。故に本稿「新城峠はもう秋ですか」は、病院の枕下で執筆されたと思われる。本原稿は同年8月初旬に芦別市の茜屋書店編集室に届けられ、同月30日に稲葉真弓は逝去した。
2013年春頃、西川徹郎は稲葉真弓へ新城峠大學文藝講演会への出講を依頼していたのである。故に本稿は西川文学に触れて書いた作家稲葉真弓の最期のエッセイであり、〈永遠の少年詩人〉西川徹郎への訣れの便りともなった。
野家啓一・綾目広治、来たる!
野家啓一(のえ・けいいち)氏は、日本哲学界の第一人者。
日本哲学会・元会長の東北大名誉教授。
綾目広治(あやめ・ひろはる)氏は、博覧強記のノートルダム清心女子大教授。
日本最高峰の知性に、あなたもふれてみませんか。
新城峠大學 文藝講演会
「第4回 西川徹郎記念文學館賞」受賞記念講演
◎日 時/2019年9月14日(土) 13時〜
◎場 所/西川徹郎記念文學館
◎受 講/無 料
◎講 師/野家 啓一 東北大学名誉教授
綾目 広治 ノートルダム清心女子大学教授
◎主 催/西川徹郎記念文學館
◎後 援/旭川市教育委員会、北海道新聞旭川支社、北のまち新聞社、空知新聞社、
西川徹郎記念文學館 詩と表現者と市民の会
◎お問い合わせ/TEL0166-25-8700(斎藤)