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銀河系通信ブログ版 2023年07月31日
追悼・森村誠一先生
本年(2023年)7月24日未明、作家森村誠一先生が逝去された。御年九十歳だった。
森村誠一先生と西川徹郎との文学的交流は、西川徹郎が四十歳であった1988年(昭和63年)刊行の第五句集『町は白緑』(沖積舎)に対し、森村誠一が寄せた私信に始まる。前年に刊行されベストセラーになった俵万智著『サラダ記念日』が象徴するように、当時の詩歌界は日常を軽みのある筆致で描く作風がもてはやされていた。森村誠一の私信には「『サラダ記念日』調の歌や句があふれる世相の中で、西川さんの『町は白緑』は、極めて象徴度の高い凄惨な句群です。
竹原に父祖千人が戦ぎおり 徹郎
石に打たれて母さんねむれ夜の浜
階段で苛烈な死者と地平見る
窓開き黄いろい死者と地平見る
などは全く凄い句です」と記述されてあった。(「十七文字の銀河系 西川徹郎=西川徹真略年譜」綾目広治著『惨劇のファンタジー 西川徹郎十七文字の世界藝術』所収)
森村誠一は旭川市に西川徹郎記念文學館が開館して間もなくの2009年(平成21年)、来館して「永遠の青春性―西川文学と人生」と題して講演を行った。講演録は森村誠一著『永遠の青春性―西川徹郎の世界』(西川徹郎文学館新書・茜屋書店)に収録されており、同書の「あとがき」で森村誠一は
「西川文学の中核をなす西川俳句は、日本の文学遺産として凄絶な発光をする宝石である(略)衝撃なき文学は文学でなく、衝撃なき俳句は俳句ではないことを提唱する見本が、西川徹郎の作品である」
と述べている。
2014年(平成26年)、西川徹郎記念文學館が主催する「新城峠大学」の開校記念講演の為、森村誠一は再び来館し、文學館に於いて「小説の神髄―小説はなぜ書くのか、そして如何に書くか」(『西川徹郎研究』第一集・茜屋書店)と題して講演。作家を志した基となった少年の日の余りに悲惨な戦争体験を具に語った。
西川徹郎記念文學館前の旭川市七条緑道には、同年建立された高さ凡そ三メートルの堂
々とした沙流川産出・日高青石の「西川徹郎・森村誠一〈青春の緑道〉記念文学碑」が建つ。西川徹郎の
初恋の傷みに堪へて月の出を見てゐる大きな月出でたれば 徹郎
抽斗の中の月山山系へ行きて帰らず
の短歌・俳句作品と共に、森村誠一の西川文学への献辞
永遠の狩人 森村誠一
の文言が、森村誠一の筆跡で刻まれている。「永遠の狩人」とは、森村誠一先生の作家としての姿でもある。
『高層の死角』以来超一流のエンターティナーであり、決死の取材・執筆を行った『悪魔の飽食』を始め、一市民として新聞の「声」欄にも投稿を続けるなど、徹頭徹尾反戦の旗を掲げ続けて生きた森村誠一こそ、日本文学が世界に誇る国民的作家である。その果敢な作家精神は、永遠に森村誠一の文学作品の中に生き続け、また、森村誠一の北の地の同志ともいうべき西川徹郎の文学の真髄の中に流れ生き続けている。
森村誠一先生、有り難うございます。西川徹郎文学に、広大な御激励を賜りました。心からの御礼を申し上げ、追悼の言葉と致します。西川徹郎
西川徹郎記念文學館館長 斎藤冬海 -
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